ボランティアは黒子役⚫️

2016年8月10日

 

ちょっと真面目なブログ。写真が少なくて読みづらいかもしれませんが、お時間のある方は読んでいただけると嬉しいです。

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父の実家は熊本地震で最も被害が大きかったとされている益城町の隣町です。地震があった当時は留学中で日本にいなかったため、4ヶ月経ってからの訪問でしたが、空港からの道には地震の激しさを物語る爪痕が数多く見られました。

倒壊した家屋には赤い「危険」を示す張り紙。亀裂が入り、波打った道路に傾いた標識。修復作業が進んでいる場所がある一方で、未だ「平時」は戻ってきていないと感じる風景でした。ここで亡くなった方もいるのだと思うと心が傷むと同時に、少しでも何かできないものかと考え、以前から小耳に挟んでいた復興ボランティアに関心を持ちました。

ボランティアがかえって好意の押し売りというか、迷惑になってしまうケースも多い、との情報をインターネットで得ていたこともあり、全くの素人である自分が行ったらかえって足手まといでは?とも考えましたが、少しのことでもやるべきという父に言葉に背中を押され、ボランティアに参加することを決めました。

8月7日、朝の8時から益城町災害ボランティアセンター前にて待機。ボランティアに用意された駐車場に並ぶ車のナンバープレートは全国様々なところのもので、なんだか緊張しました。

そこから受付を済ませ、マッチングという行程があります。被災した方々の依頼とボランティアを引き合わせる作業のことです。依頼のあった作業内容が読み上げられ、その中でできると思った作業に挙手して仕事を分担していくという、いわば競りのような形式です。

「物資運搬に20名、マニュアルの軽トラックを運転できる方が数名必要になります」

「はい、僕運転もできるので行けます」

何度も参加していらっしゃる方は勢いよく挙手をされ、どんどん仕事が割り振られていきます。

復興ボランティアといえば、がれき撤去を始めとする激しめの肉体労働を想像しており、ある程度は覚悟して行きました。しかし、女子学生である私に割り当てられたのは、避難所にもなっている総合体育館のトイレ・シャワー室の掃除と、そこにあるチャイルドケアセンターのお手伝いでした。

正直、一瞬、肩透かしを食らったような気分でした。普通に掃除をして、子供達の笑顔に癒されて…女性により適性のある仕事なのは理解できたものの、室内でやっている仕事にもかかわらず、

「ご無理はなさらずきちんと休んで」

とたくさんの休憩をいただき、果たしてこれが人のためにきちんとなっているのだろうかという考えが拭えないまま仕事をしていました。

そんな中で印象に残っているのが、トイレの清掃中にいらした、避難所で生活している方々が一人残らず

「ご苦労様、いつもありがとうね。」

と声をかけてくださったこと。

避難所生活が未だに続いている中でそのような声かけをしてくださる方々の温かさを痛感するとともに、私のできる仕事はここにあったのだという気づきを得ました。

 

もう言い古された言葉かもしれませんが、ボランティアはあくまで黒子であり、それに徹するべきだということを今回の体験で強く感じました。

ボランティアは非日常の空間に送られる存在でありながら、その最終目的は1日も早く日常を取り戻すお手伝いをすること。その過程にある仕事は見た目にわかる瓦礫や倒壊した家屋を整理することだけでは当然なく、非日常の中で生きる方々の負担を少しでも取り除くこと全てだと感じました。その中で参加者は、普段やらないことを気張って「頑張ること」が評価されるべきなのではなく、慣れたこと、得意なことを生かして進めていくのが最終的に一番の助けなのではないかと思います。

ボランティア開始前のオリエンテーションでは、被災者の方々には地震の時のことは聞かないこと、写真撮影は厳禁であること、総じて被災者に「寄り添う」心が重要であることなどが繰り返し喚起されていました。こういった注意もボランティアが黒子に徹するためのマニュアル。

自分が助けに行く目的で参加した活動だったのに、それ以上に様々なことを学ばせていただいた復興ボランティアとなりました。私は東京へ戻ってきてしまい、直接的にお手伝いできることは難しくなってしまいますが、「自分にできることを」という教訓を胸に生活していきたいと思います。

最後に、益城町、そして熊本県の被災地が1日も早く復興されることを心から祈っております。

またまた長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます!

また投稿しますね!

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Moe Minamoto🍀