こんにちは!😎
今日は、教養学部教養学科地域文化研究分科北アメリカコース所属の私が、なぜかヨーロッパのアイルランドに留学することになった経緯について書きたいと思います✨✨少し長めですが、大切な思い出なので読んでいただけると嬉しいです💕
(大学の校舎です🏫)
私が留学の時に利用したのは大学の交換留学制度です。毎年夏頃から少しずつ募集要項が出始め、冬には選考があり、翌年の秋から留学が開始します。
1年の頃からコツコツ準備を始める学生もいますが、私が留学を決意したのは比較的遅く、2年の夏前。大学生の間に一度留学に行ってみたい!✈️というおぼろげな憧れと、幼少期に身に付けた英語を、大人としても通用するものにしたいという思いが初めのきっかけでした🌷
北アメリカコースに所属していることからも、北米の大学を中心に希望を出し、どこかに引っ掛かることを祈りながら選考を受けました。今思えば随分と動機が浅く、未熟だったのですが…😅
当然、結果のメールは、以下の通り。
「残念ながら、希望の大学に推薦はできませんでした。」
ショックでしたが、さらなる衝撃はその後です。
「ですが、アイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンの派遣候補生として推薦しておきました。ご自身の計画にはなかったこととは思いますが、よく考えてみてください。」
(本当はスクショを載せたくて探したのですが、悲しさのあまりヤケになってメールはその時破棄してしまっていました。残念無念。)
アイルランド????
トリニク・カレー味・デブリン?????(渾身のギャグ
ナニソレオイシソウ。
あまりに予想外で、ただただKONRAN NO KIWAMIでした😵(古い
希望していたところに一つも通らなかったというショックと相まって、推薦された先は候補に入れようとも思っていなかった国の大学。
恥ずかしながら当時の私にはアイルランドについての知識はほとんどなく、唯一知っていたのは世界史で習ったジャガイモ飢饉というお粗末っぷりでした。
その「イモがうまく育たないと人命が多く失われる土地の貧しい国」に留学するなんて、とても想像がつかなかったんです。(今ではとんだ偏見だったと猛省…😭)
正直、その時点では辞退しようという気持ちでいっぱい。
よくよく聞いてみると、他に留学を希望していた友達は軒並み第一希望の大学に通過。悔しくてたくさん涙も流したし、たくさん出願したのにひとつも通らなかった上に眼中になかった大学に推薦されて、あまりにかわいそうだったのかな…。と完全にメンタル崩壊モード。しまいには、そもそも出願したこと自体が恥ずかしく思えてきました。
日本でだって勉強できるし、バイト、サークル、その先に待っている就職活動…。日本に残ってもできることはたくさんある、むしろ自分で希望していない場所に行くよりも得られるものがあるに違いないと「切り替えた」気持ちになって、頑なになってしまっていました。
事務局に連絡する気も起きず、そのまま放置すること数日間。
たまたま大学の先生にもう行くつもりはない旨を報告すると、
「なぜ行かないの??もしかして、島流しされてるみたいな気持ちになってない??笑」
という意外すぎる反応。
お情けで譲ってもらっていたと思っていたダブリンへの切符は、アメリカ科の先生が私のために一生懸命に考えて出してくださった結論だとわかったのです。
そこからは本当にたくさんの方々にお世話になってお話を聞かせていただきました。この時ほど東大の学ぶ環境が恵まれたものだと実感したことはありません。
トリニティカレッジダブリンに過去に留学されていた東大の先輩方。たくさんの人の話を聞くようにアドバイスしてくださったアメリカ科の先生。初めて会った一学部生でしかない私に時間を割いてくださり、ご自身の話をしてくださった先生方。素直に前向きにチャンスを生かすことで広がった可能性✨について伺う中で、それまでの自分の視野の狭さに気づきました。
冷静になれば当たり前のことで、何言ってるんだと言われてしまいそうですが…😭
当時の私は、その時自分で決めた価値、その時見えている価値でしか動こうとしていませんでした。未知のものに挑戦するチャンスを見送ろうとしていました。
とりあえずなんでもやってみればいいじゃない、とアドバイスしてくださった先生の言葉は大切な教訓です。やらない後悔よりやる後悔!結果として、数え切れない程の素敵な経験をすることができたのは、この時に支えてくださった方々のおかげです。
これからもこの時の発見👀を生かして全力体当たり!で頑張っていきたいと思います!✨
稚拙な長文となってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました!アイルランドでした貴重な体験については、また後日書きますね!✨✨
今日はこの辺りで👋
Moe Minamoto🍀